パーティー 3

2004年12月15日 お仕事
第三弾。

これは、本当に楽しいパーティーでした。

パーティーって大好きかも。

低血圧

2004年12月12日 日常
低血圧なのは自覚しているのだけれども
(普通にしていると80、とっても調子が良いと90まで上がる事もまれにある)

倒れてしまう程ひどいものだとは思ってもいなかった。

昨日、自覚しているよりもひどく疲労がたまっているらしい体が

ついに悲鳴をあげ、なんとフラフラフラ〜〜と倒れてしまいました。

せっかく美味しいふぐを食べていたというのに・・・

☆     ☆     ☆     ☆     ☆

先週高熱を出す風邪をひき、一日だけ休んだものの

すっかり治っていると思っていたけれども、

最近ここ数年で一番ひどい不眠症と繁忙期に入り

自分が思っていた以上に体には疲れが蓄積していたようで。

体も脳も疲れきっていて眠いのに、それでも寝れない。

ただでさえ平均より少ない睡眠時間が、ここ数ヶ月間で激減し

ひどい場合は1時間も熟睡できていない状態。

それじゃあ、常駐先では一番若いとはいえ、ガタがくるのは当然のことで。

気をつけなくてはなりません。

貧血のようになった原因は、

アルコール(といってもジュースのようなカシスオレンジ)を

養命酒のカップ程度飲んだだけではあるものの

アルコールで血管が拡がって、急激に血圧が下がったからだとの事。

一緒に居た家族の話によれば、

みるみるうちに、薄暗い店内でもはっきり分かるくらい

顔から血の気がなくなり、言葉の通り真っ白になっていったそうです。

貧血状態はすっかり治りましたが、今でも頭痛がやみません。

不眠症といい、慢性頭痛といい、どこか悪いのでしょうか・・・


ちなみに、カシスオレンジをほんのちょっと程度でだめになるほどまでは

普段はそこまでヤワっちくありません。

だって毎週金曜日の仕事後は、

すきっ腹にまずは一杯

コスモポリタン(新種のマティーニとでも言えばいいのかしら?)を飲んでいるくらいだもの。

ちなみにSATCでは4人がまるで水のように常に飲んでいるこの飲み物も

日本ではどこでも飲めるわけではなく知らない人も多いけれども

クランベリージュースが入っているため

ピンクでとても素敵。(同僚やボスは、その色が気持ち悪いとも言うが)

とにかく倒れようと元気でいようと

仕事量は変わらないわけで、しかも今の仕事は自分以外は出来ない事。

そうなると、休んではいられません。

ということで、これからまた仕事再開いたします。

つかのまの休憩でした。。。

パーティー 2

2004年12月10日 お仕事
外資系に勤務している人ならみんな感じている事だろうけど、

とにかく何かにつけてパーティーが多い。

会社全体のパーティーには参加できなかったけれども、

第二弾のプロジェクトチーム全体のパーティーには参加。

今の常駐先に来る前にやったり、現在進行形のプロジェクトで会った事のある人に

やまほど再会して、ちょっとびっくり。

いくつもの金融機関や事業会社の人と仕事をしてきたつもりだけれども

考えてみたら、私のやった仕事は今の常駐先の仕事ばかりだったかも。

別に何も意図してやったことではないのだろうけど、

ちょっと因縁を感じる。

せっかくだから、今度の転職先はここにしようか・・・

なんて事まで考えてしまう。

知り合いの偉い人に、部の人をいっぱい紹介される。

経歴を聞くだけで恐れ多くて話せません、って感じの人だらけ。

やっぱり出来る集団は違う。

私もそっちに行きたいような、

今くらいの仕事量でかまわないから、自由な時間をキープしたいような。。。

20代半ば、悩む時期なのかもしれません。

ちなみに、大学時代の友人は、転職する人が増えてきました。

不思議な事に、結婚をする人は男の子だけ。

女の子のほうが、仕事とかやりたいことを追いかけている人が圧倒的に多い。

出身大学的に考えて、そんなもんなのかもしれません。。。

まだ結婚して、時間を束縛されて(と考えてしまうあたりからして駄目?)

自分のやりたい事以外にやらなければならない事が増える事が

とにかくイヤだという意見が多数。

私もそんな意見の持ち主の一人。。。

まだまだ結婚はしたくない。

パーティーの話とはずれてしまったけれども、

そんな事を考えてしまった一日でした。

それにしても、有名なレストランだけあって、

食事もワインもデザートもコーヒーも、最高においしかった。
久しぶりにイギリスに電話した。

なつかしい声。

なつかしい響き。

お互いの近況を確認して、他愛のない話をして・・・

この人ほど愛しく思う人は居ないと改めて感じる。

手相占いとか信じないタイプだけれども

「既に運命の人とは出会っている」

との言葉だけが、馬鹿みたいに頭から離れないでいるのは

やっぱり彼のことが一番好きだからなのでしょうか。

来年、彼がまた日本に来るとの事。

旅行で来るのは分かっているけど、

いろいろやりたい事があるのは分かっているけど、

だけど、日程が決まったら、私もたまっている振休でも消化しようかと考え、

どうせなら初有給も使ってイギリスについて行こうかなんて思ってしまう。

おろかな私。

大切な人が、みんな離れていってしまう2004年だった。

残るは、米国移住希望の友人と、英国移住希望の私。

友人の、英国就職内定はとてもうれしいけど、

すごく寂しい気持ちになるのも正直なところ。

毎週いつも会って、馬鹿話して、楽しかったから・・・

一人にはなりたくない。

馬鹿話が出来る女友達(もしくはゲイ友達)が居ない人生なんてつまらない。

睡眠時間

2004年11月30日 日常
不眠症らしい私はとてつもなくおかしな時間に眠くなるのだけれども、

どんなに眠くて疲れ果てていて

体力的にも精神的にこ限界を感じていても

やっぱりどうやっても寝れないのだから

これはもう立派な病気でしかないと思ってしまう。

不眠症と言っている人は世の中にごまんといるけれども

実際本当に全然寝れずに過ごしている人はどのくらい居るのでしょう。

眠いのに寝れない辛さは経験した事のある人しか分からないかもしれない。

と思うと、ちょっと孤独。

****************************

仕事が本当はゆったりしている時期のはずなのに

今年は10月も11月も繁忙期のまま突っ走っていた気がする。
(クライアント先に常駐している私はまだましなほうだった)

これから、本来の毎年恒例、超繁忙期を迎えるというのに

今からこんなんじゃ、本当にみんな倒れてしまうのではないでしょうか・・・

(しかも年末年始の休みが今年は異常に短いし。
 金融業界の辛いところ。ってうちはコンサルなのに・・・)

最近の私の平均睡眠時間、というか、平均ベットで寝転んだ時間は

4時間弱くらいかしら?

実際寝ているのは、おそらくその半分。

ただでさえ、低血圧(上が良くても90くらい。普通は80くらい)なのに

毎日フラフラしてます。一日中。

気が狂いそう。

とにかく、ぐっすり眠りたい。無心に。

前回、普通にぐっすり寝れたのはいつの事だろう。

彼がまだ日本に居たころだったような気がする。

彼と一緒に暮らした2週間は、彼の隣で安心してたから・・・

どうすれば寝れるのか分からないなんて

人間として、動物として、どうしようもないかもしれない。

寝たい。でも寝れない夜は今日も続きます・・・

SATC

2004年11月27日 日常
納得のいく終わり方だったと思った。

とにかく影響されまくりの私。

話はそれるけれども、SATCにはまってしまったが故に、

通勤で使う電車内の広告にキャリーを発見し、

普段は買う事のないGAPだけれども

今回ばかりは広告にやられてお店まで足を運んでみたり。

安いのに、かわいい服が多いのね、GAPって。

昔は本当にカジュアルなだけかと思っていたけれども。

結局何も買わなかったけれども、普段着には良いかも。

(週末も仕事が入ってばかりだと
 普段着って、いつ着るんだって思うけど。
 週末の会社はデニムもありとはいえ、
 仕事しかしない週末にお気に入りのかわいい格好をしても
 なんだかむなしくなるだけだったりする。
 働くときはシンプルに限る)

ところで、今日の日記、SATCというタイトルで良かったのでしょうか?

GAPにしたほうがよい?

ヨン様騒動

2004年11月26日 日常
最近の韓流ブームにはさっぱりついていっていない私。

六ヒルに集まるファン、マスコミ、警備する警察関係者に

本当に圧倒されてしまった。

これだけのブームになるってすごい、と思う。

ただ、やっぱりランチタイムくらいは静かに過ごさせて欲しい…

六本木ヒルズというミーハーな土地に毎日通っていると

何かとあらゆる混雑に巻き込まれる事が多い。

それにしても、ヨン“様”ファンは強かった。

そして、何より、平日の昼間から、おっかけ出来る時間のある

優雅な生活をしている人を、その時間の使い方はともかくとして

とてつもなく羨ましいと思ったのは事実。

私も平日の昼間に自分の好きな事をしてみたい。

と思うと、母親って実はすごく贅沢なんだといまさらながら気がついた。

今はジムと着物にはまっている模様。

そんな30年後も、悪くはないのかもしれません。
絶対に有り得ないと思っていたけど、
こんな会社でも有り得るのね、海外転勤。

でも、気分屋の私、今の会社に愛着はもうなくて
間違えても海外出張なんて行ってしまったら
その間は今の会社に勤務することになって
「自由に動くすきま」がなくなってしまう。

だから、行きたいと思ったけれども、今の私には無理だと思う。

憧れの土地だけど、今はとにかく無理・・・

shoesholic ???

2004年11月14日 趣味
靴に弱いのは、高校生の頃からだったのだろうか・・・?

一週間前に、会社へ行く時に、現実逃避から大好きな靴屋を覗いた時に
心がときめくような靴に久しぶりに出会った。
でも、
もう今後一切衝動買いは絶対にしない、
と決心したのは最近の事で
それに、家には仕舞いきれずに置き場に困っている靴が山ほどあって
現実問題、靴一足を置くスペースなんてないわけで、
だから我慢して買わなかった。

だけどそれから一週間のうちに、夢に3回はその靴が出てきて
そのコーディネートがやっぱりドキュンとなっちゃうくらいにステキで
これは買うしかないかもしれない、と思い直し
試着、もとい、試履?をしたのは土曜日の閉店直前。
でも、カードを家に忘れて、いいや、明日もう一度来よう、
とそのまま帰ったのが間違いだった。

あまりに姉妹でそこの靴を買ってばかりいるためか
店員さんとは顔見知りどころか仲良しで、
別に急いでいたからといって
お取り置きするのにわざわざ伝票に記入したり
電話番号を言っておいたり、
一週間後までには取りに来ますなんて言わなくてもいいけど
閉店間際だしもう他に誰も買わないよ、と油断したのがいけなかった。
だってもう私のサイズは残りがない事は分かっていたんだから・・・

今日、またお店を覗いたら、売り切れてた。
私のサイズだけが欠番。
夢にまで出てくるくらい恋していた靴なのに・・・
こうなると本当に悔しくて、
でもそこはお取り寄せが出来ないブランドで
ただでさえもそのデザインのその色を入荷した所は
関東でも数店舗だけだったため、
今現在残っているそのサイズは全国で一つだけで
なんとそれは京都だと言うじゃないの・・・

交通費だけで、靴をあと一足は買える価格よね・・・?
と考え直して、どうしても欲しい靴とはいえ
ただでさえも高いのに
京都までの新幹線代往復を加えてまで欲しいとは思えず
そもそも京都まで行く時間が今の私の仕事から考えるとあるわけもなく
(京都に出張とか言ってくれればいいけど、
 外資系金融業界の本部って東京の限られたところに集中しているから
 六本木に出張、とか恵比寿に出張とかは言われても
 京都に行け、なんて言われるわけがなくて・・・)
とにかく、結論として、諦めざるを得ない事になってしまったわけ。。。
学生だったら何かと言い訳つけて行っていただろうに。
たかが靴。されど靴。

もっと量産していたらいいのに・・・
矛盾しているけど、そしたら絶対に欲しいとおもわないだろうけど。
でも、数が少ないと、上記のような不便な事が頻繁に起こるわけで。。。
そもそもそんなに頻繁に靴を買いたくなる自分が間違っているのかもしれないけど。

だけど、私は誰がなんと言おうと、
お洋服よりも鞄よりも、靴が好きなんだろうなあ・・・
ワーカホリック
自意識過剰で自信満々
自慢話のオンパレード
いつも一言余計
食事の話をするときに必ず「いくらのディナーで」という説明がつく人
自分の事を「オシャレ」だと言う人
人生で挫折ってものをした事ないんだよね〜、と平気で言う人

こういう人との関わりは出来るだけ避けたいと思うこの頃。

私の知り合いに、上記の全てが当てはまる人が居て、
誰も相手にしないから、かわいそうになって
仕方なく話を「うん、うん、すごいですね」と聞いていたら
いつまでも電話をかけ続けてくる人が居る。

正直、疲れました。

そして、何より最近ワーカホリック状態にならざるを得ない自分が
何よりもイヤだったりする。
別にワーカホリックなんてなりたかないけど
一人だけに仕事をふりすぎじゃないか・・・?
職場には、週末出てきていない人がやまほどいた。
なんで私はこんなにいっぱい抱えているんだろう・・・
(仕事量の割りで考えると、バイトの最低賃金以下の給料で働いている気がする)
終電なくなってタクシーだと、私は実家があまりに遠いため
経費で落としてくれない雰囲気にあるため家でもずっと仕事。
そうすると、けじめをつけたくても常に仕事に追われて
寝る事ですら出来なくなり、
ここ4日間の睡眠時間は通勤電車の中を合わせて10時間程度。
おかげでせっかく落ち着いていた腰痛も悪化し
歩くのも辛い状態となってしまいました・・・
このままでは、私、体壊してしまいます。
本当に。
キャリアって、適度が一番じゃないかな、と思うこのごろ。
早くこの業界から足を洗わないと、私、不幸になりそうな気がしてきました。
(負け犬とかああいう言い方はキライだけれども、
 会社にいる35歳の独身女性のようにはなりたくありません)

先日までは張り切っていたけれども、
結局適度を超えた仕事をするくらいなら
仕事内容に文句なんて言わないで、人間らしい生活を送れる職場にいたいものです。

愚痴は終わりにして、仕事に戻ります。
本日、棚からぼたもち的な勢いで、

すごく面白そうなプロジェクトにアサインされた。

それは、ボスと中華ディナーをしていた時の事。

ふかひれのお刺身と格闘していたら、こんな仕事がきてるけど、どう?

と。

何も考えずに「はいはい、やりますよ〜」

と言ってから、「え〜〜〜!!大変だけどラッキーかも」と思ったような仕事。

************************************************************************

それにしても、ディナーは美味しかった。

年齢を重ねるにつれ、

珍味だとか高級素材だとか最高級と名のつく美味と言われるものを食する機会も増え

もうキャビア、フォアグラ、トリュフだとか、高級えびだろうと

ものめずらしい気はしないけれども

やっぱりそういうのを食べている時って嬉しいと思う。

私はでも、やっぱり和食が一番好きだな〜。

美味しい白米と梅干があれば結構生きていける性質。

お茶付けが一番のご馳走なんて思ってるし・・・

ただ、私にとって最高のデートは、

高級レストランでのお食事よりも

すごくその人らしいこだわりを持った所に連れて行ってもらう事。

値段なんてどうでもいい。

ちなみに今までのデートで一番感動したのは

英国人の彼に連れて行ってもらった恵比寿のお店。

すごく小さなお店だけど、味は最高級!

有機野菜をいっぱい使ったパスタに

外国のごくごく普通の家庭にあるような、手作りデザート。

(まるでオーストラリアのママが作ったお菓子みたいなの☆)

そこに行くと、彼の事を思い出してちょっとホロリとくる。

やっぱり今まで付き合った中で、一番好きだったし一番楽しかった。

話がそれちゃったけど、新しいプロジェクト、がんばろっと。

最近ずっとやる気がなくて、

なんだかふかひれにつられてモチベーションを出させられた気がするけど。
心ときめく事があった。

まさかこんな所でそんな事が起こるとは・・・

どこに何が転がっているか、本当に分からないものね。

気は抜けないわ。
コン○ルティングファームや外○系金融での時間の流れに慣れてしまうと

たまに事業会社との仕事があると、

その時間の流れの速さの違いに、時々驚かされる事がある。

頼まれた仕事を普通にやっていても、

事業会社の人は、「えっ!もう出来たんですか!!」と驚く。

頼まれた仕事をこなすだけならいいのだけれども、

時々一緒に仕事をこなしていく時はペースの違いに躓いてしまいそうになる事がある。

仕事なんだからそんなノンキな事言わないでよ〜と泣きたくなる事もある。

地方のお役所に問い合わせをしなくてはならない時はイライラする事のほうが多い。

(だって5時過ぎると電話とらないんだもん。
 6時近くにずっと電話を鳴らすと応答する人もいるけど
 すっごい怒っていたりだとか。明日電話かけなおして下さいと言われたり。
 一体何を考えているんだか・・・)


恐らく時間の流れが3倍違うのだと思う。

某有名○ンサルから事業会社へ移った人が言っていた事を思い出す。

「転職先の部(その会社では一番エリートが行くような部署)のメンバーは

 みんなとても優秀だと思う。

 だけど、今までと何が違うのかというと、

 同じ事をこなすのにかかる時間が3倍から5倍かかっている事かしら。。。

 能力が高い人が多いし出来ないわけじゃないのよ、彼らも。

 だけど、そういうスピード感のある職場で働いた事がないから

 やらないだけなんだと思うのよね。

 ここで慣れたら私もう外○系には戻れないわ・・・」

そういう事なのか、と最近彼女の言葉が分かってきた。

私自身はとてもとろい人間だと思うけれども(よく言えばマイペース)

仕事の時だけは別(だと思いたい)。

今のスピード感がなくなったら、仕事の面白みが半減すると思ってる。

仕事なんて、どんな業界であろうと「特別な人」にしか出来ない事なんて少なくて

その人の努力と「要領の良さ」でこなせる事の方が圧倒的に多いと思う。

能力が高いという事よりも、段取りと要領の良さのほうがずっと大切。
(仕事だけじゃなくて、勉強だってそうだと思うけど)

そこにスピード感というよりは「無理でしょ?!」というような期限を守って

仕事をこなしていくからこそ、楽しいと感じられるようなもの。

まだ転職するつもりはないけれども、

次の転職をするときも、そういう点を考慮して選ぶとすると

必然的に○資系って事になるのかなぁ・・・

六本木ヒルズにて

2004年10月27日 日常
土地が狭くて高い建物が多い東京に住んでいればしょうがない事かもしれないけれども
震度3の揺れでもあんなにグワングワンと揺れるのならば
ヒルズに居る間にもっと大きな揺れが東京に起きたとしたら
どうなってしまうのでしょうか・・・

免震構造だから余計にゆらゆらと揺れるようになっているとは言っても
その中で働いている身としては、恐ろしくてたまらない。
遊園地で悪酔いしそうな乗り物とでもいえばいいのでしょうか。
本当に、グワングワンと揺れるわ、
エレベーターは点検のために止まってしまうわ・・・
(しかも今回はお昼前だったからみんな外に出たい時間だというのに)
アナウンスは流れ続けるわ・・・

ネットで即座に震源地と揺れの大きさを調べて(職場で一番見つけるのが早かった!)
同時に新潟に居る親戚に連絡を取るも、やっぱり電話は繋がらない。
今回の余震でゆれが大きかった所は本震の時よりも親戚の家から近い。
仕事中にも関わらず、電話をかけ続け、やっと繋がり、無事を確認。
周りの家は壊れてしまいそうになり大変だったらしいけど、
親戚の家は新しくしたばかりの為ひどい被害はなかったらしい。

台風に地震、日本はこう考えると本当に天災が多い国。
オーストラリアの知り合い達、イギリスの元彼からも連絡がすぐ入り、
どうしてそんな国に住み続けるの!英語が話せるんだからこっちで仕事探しなさいよ。
なんて言われても、やっぱり自分が生まれた国だし
大好きな国だし、簡単にじゃあそっち行くわ!なんて出来ないのが現実。
(もちろん行けるものなら行きたい気もするが・・・)

とにかく、今の常駐先の仕事、今までのプロジェクトの中で一番好きだし
ずっとこのプロジェクトに関わっていたいなと思っていたけれども
六本木ヒルズで働き続けるのはちょっと怖いから
ある程度で他のプロジェクトにアサインされても構わないかも・・・
と初めて思った一日でした。

新潟

2004年10月23日 日常
生まれてからずっと横浜と東京で育ったつもりでいるけれども
実は生まれてから3ヶ月ほど、母親の実家で育ったらしい。
記憶には全くないけれども、緑や川に魅せられるのは
潜在意識としてその頃の美しい風景が、片隅に残っているからかもしれない。

私が生まれた病院で、被災者が手当てを受けている。
今回の地震の震源地からほんの少し離れた所。
ニュースでそこから長岡へ抜けるよく知っている国道に
1メートルもの段差が出来たのを見て本当に驚いた。
なかなか連絡がつかない親戚とやっと連絡がつき、
みんな無事だと確認したときは本当にほっとした。
夜中まで連絡がつかなかったから。
家の中は倒れてきた家具や、放り出されたテレビなどでゴチャゴチャらしいけど
みんなの無事を確認して少しだけほっとする。

ちなみに山古志村はいつもお米を買う所。
本当に日本の原風景そのものの、美しい棚田に世界一美味しいお米。
ニュースをみてショックだった。

東京でもあれだけ揺れたんだから、本当に怖かっただろうに・・・

亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

成長

2004年10月16日 日常
この歳にもなって、

何がやりたいのか分からない

だなんて、

実はどうしようもなく駄目な人間な気がしてきて

それでも、淡々と過ぎてゆく毎日を変える事なんて出来ず

何も得た気もしないまま、こうやって歳月は過ぎていき

高校生の頃から結局悩んでいる事の根底にあるものは変わっていないのならば

30歳になった自分も、同じような事で悩んでいるのかと思うと

ちょっと人生疲れてくる。

それでも明日になれば同じような生活が始まって、

そうやって歳をとっていくのでしょうか・・・

なんていうような事を、なぜか毎年秋になると考えてしまいます。

でも、そもそも「毎年秋になると考える」事が同じだという事実そのものが

自分が成長していないことを物語っているようで

それに気がついた時、呆然としてしまった。

でも、きっと来年も同じ。

Hong Kong

2004年10月8日 旅行
一度行ってみたかった香港。
なんでだか分からないけど、ずっと気になっていた。

結果、とてもはまってしまった。
次の転職活動は香港での仕事を探そうかしら・・・なんて思う程。
いや、あの銀行に受かっていれば、今頃香港で働いていたんだろうに・・・
もしくは、NYかロンドンか東京。

香港は、とてもパワーがあって
食べ物は美味しいし、移動もラクだし、
観光で行くよりは住みたい所かも、と案の定感じた今回。

でも、きっと一生あそこに住む事はない気がするのも確か。
今の会社じゃ転勤ってあり得ないし・・・
留学する先でもない気がするし・・・

でもとにかく楽しい4日間だった。
また行こう。
今度はあんなリッチなホテルじゃなくて、もうちょっと庶民的な所に泊まりたい。
ホテルは超金持ち欧米人ばかり宿泊しているような所だったため
(家族旅行だからしょうがありませんが・・・)
ホテルに居る間は香港っていう気分じゃなかったのも事実。

9ヶ月経過

2004年10月1日 お仕事
前職は9ヶ月しかもたなかった。

でも、すごくすごく長い時間に思っていた。

転職してなんとなく毎日仕事して、気がついたら9ヶ月経過。

早いなあ・・・

今の会社に長くいるつもりなんてなかったけれど

給料は同業他社に比べたら恐ろしく薄給であるという事以外、

今のところ、ひどい不満があるわけでもなく

このまま数年間居続けてしまう気がして、そんな自分にビックリ。

だって、居心地は最高に良いんだもん。
コンサルティングファームで働いていると
自分の同僚が誰なんだか分からなくなる事が多々ある。
なぜかというと、クライアント先に常駐する事が多いから。
常駐しているとそこの社員と一緒に過ごす時間が長いわけで
逆に言えば、自分の会社で何が起きているのかさっぱり把握出来ない状態でもある。

例えばコンサルティングファームは転職が多い職場ですが、
自分の会社の誰が辞めただとか、新しく入社した人が居るだとか
連絡は来るけれどもあまり把握出来なかったりする・・・

最近、アシスタントをゴソゴソと採用したようで、
同世代の女性が増えてきて、とても嬉しい限り。
コンサルタントを目指す人も居るらしく、話を聞いてみたいと私は最近ちょっと人気?!

せっかくだからと、普段から仲良しの同僚と
夏に入社した子を誘って、お食事をして参りました。
後者の子とは、実はゆっくり話をしたのは初めて。
もう3ヶ月近くも同じ会社で働いているというのに・・・

今現在、三人とも全く異なる会社に常駐しているのですが、
それぞれ不満はやまほどあるわけで、
もうみんな止まりません、おしゃべりが。
でも、終電までお喋りを続けて、かなりストレス発散となりました。
あ〜、それにしても女って本当に怖い。
(自分も女だけれども)
みんな良く見てるんだよね、人の事。

適度の距離を保ちながら、仲良く当たり障りなく、というのが一番かも?!

記念日

2004年9月11日 カレとの事
2ヶ月近くも私達はひどい罵り合いを続けた。

初めのうちはメールで。
電話では、私が一方的に…だった。
ある時、きっともう絶交になる、って思った。
私は本当に今までで一番愛したこの人を
きっとこれからもずっと一緒に歳を重ねていくんだって当然のように信じていた大切な人を
今この瞬間に失うんだって、どうしてか分かった。

その日から、数週間も連絡を取らなかった。
そんなの出会ってから今までで初めての事。

あれから数週間が経って、
9月11日の今日、久しぶりに電話をしたら、知らない人が出た。
カレはもう居ないって。

慌ててカレの実家に電話した。
だって、今月末まであの地で働くって聞いてたから。
びっくりする程真面目なカレが、途中で投げ出すなんて思えなかったから。

カレの父親が私だと分かるといっぱいお喋りをして、
そして喜んでカレの新しい電話番号を教えてくれた。
丁度、私が電話をした30秒前にカレから電話で伝えられたばかりだって。
きっとまだ私達が別れた事、知らないのだな・・・って思った。
あまりにも自然に私は彼の父親とお話をして、
あまりにも当然のように、カレの新しい番号を教えてくれたから。

電話を切った瞬間に、早速かけてみた。
聞き慣れた懐かしいセクシーな声が出た。
まぎれもなくアノ人。
私の一番大切な人。

びっくりしてた。
私だと分かって一瞬警戒してた。
きっとまたひどい罵り合いになると思ったんでしょう。

でも、私はもう疲れ果ててしまっていて、そんな事なんて出来なかった。
本当は仲良く話したいだけなのに、どうしていつもこうなっちゃうの…
もうイヤだから、楽しく話したいから。

そんな素直な気持ちで会話しだしたせいか、
すごく久しぶりに、アノ人と本当に普通の他愛のない話が出来た。
どうでもいい事を一杯話した。
この二ヶ月、何をしていたのか、お互い報告した。

もう私のboyfriendじゃない人。
だけど、まだまだ一番大事な人。

私達の関係は、ただただ遠く離れてしまった距離が壊しただけ。
お互い、いつ会えるか分からない事に対する不安や寂しさに負けちゃったんだから。
それでも、未だ想い合うなんて、本当におかしな関係だなと思うけれど…

いろんな事があったけれど
久しぶりに一杯普通に話をしたら
なんだかあんまり気にならなくなった。

きっと、
もしカレが今まだ日本に住んでいたら、
私達はそのまま「お似合いだね」とみんなに言われる関係を続けていたのでしょう。

きっと、
もし私が英吉利で暮らせていたら、
私達はやっぱりそのまま「お似合いだね」とみんなに言われる関係を続けていたのでしょう。

それでも、私は全てを捨てて、今すぐにカレの住む街へ行く勇気はない。
両親が悲しむから。

カレの両親は私の事を受け入れてくれていても
私の両親は青い瞳をして英語を話すカレが、娘の彼氏である事を受け入れていないから。

これから、私はどうなるのでしょう・・・

カレに会いたい。
世界で一番私の事を理解してくれたあの人とハグしたい。
秋は私をそんな気持ちにさせます。

今日は、カレと出会って満二年。
911は世界にとってのメモリアルデイだけど、
私達二人にとってもまたメモリアルデイなんだ。

来年、お互いに新しいパートナーが出来てるかもしれない。
だけど、私はこの狭い日本で、アナタに会えた事
日本で一緒にあの時を過ごせた事に、ありがとうを言うために、
きっと来年もまた同じ日に、私はアナタに連絡をする事でしょう。

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